男マンの日記

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猪木寛至逝去・アントニオ猪木完結。最後まで自らをさらけだした「全身プロレスラー」

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アントニオ猪木・さらけ出していた「死へのカウントダウン」

2022年10月1日、アントニオ猪木死去のニュースが日本中、世界中をかけめぐりました。享年79歳。言うまでもない「日本人プロレスラーの代表」であり、新日本プロレスの創始者。モハメド・アリと戦い、北朝鮮でプロレス興行を行い、政界進出を果たすなど世間にもアピールし続けた人物でした。

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先日24時間TVにも登場し、NHKでも番組が放映されていて猪木のガリガリっぷりを見て驚いた、という話もSNS上で散見しました。

 

しかし、猪木はそのもっと前から。2020年2月からYOUTUBEチャンネル”アントニオ猪木「最後の闘魂」で、自らの闘病生活を動画としてアップし続けていました。

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いろいろなトークイベント等に参加する猪木、昔話をする猪木、と初期は色んな所で元気に語る猪木を記録していたこの動画、徐々に闘病シーンが増えていき、入院先のベッドからだったり、体格もやせ細っていき、呂律も怪しくなっていく。人間が本当に死に向かっていく、しかしそこで戦う姿を記録する。まさに「最後の闘魂」を記録していくチャンネルでした。

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よく、誰かが亡くなったとき、以前親しくて疎遠になっていた友人は驚いたりするけど、同居している家族は妙に冷静だったりすることがあると思います。それは、家族はその人の近くで日々衰え、死に向かっていく姿を見ているからだったりします。つまり「いきなり死ぬ」のではなく、「徐々に死をわからせられる」から心の準備ができている。だから周りからしたら妙に冷静に見えたりする。

個人的には、この「最後の闘魂」チャンネルは、猪木が死に抗い、戦う姿を見せる目的とともに、結果「死にゆく猪木をわからせる」役割も果たしていたように思います。以前からこのチャンネルを見ていた私はもちろん悲しく寂しいですが、「ついにこの日が来たか」という納得のような感情もありました。

 

そして先日、猪木逝去のニュースが流れる中、一本の動画がアップされました。それは死の一週間前に撮影された、猪木が今後について語る動画でした。

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字幕がないと聞き取るのも難しいくらい呂律が回っていない猪木でしたが、YOUTUBE撮影を頼まれたスタッフに対して「実は動画なんか撮りたくない」と煙に巻きつつ、「今の姿を見せ、やれるところからやっていきたい」、「世界の環境問題について発信したい」と意欲を見せていた猪木。猪木は最後まで猪木の魂のまま、闘魂を抱えたままでした。しかし死の直前までさらけ出していたアントニオ猪木。プロレスラーは引退していましたが、最後までアントニオ猪木のままで亡くなっていきました。合掌。

 

 

衰えをもリング上でさらけだし、表現した「キラー猪木」

私はプロレスを見始めた時期が闘魂三銃士時代からだったので、すでに猪木は一線から退いていました。全盛期は後追いで見ましたが、大舞台でのスポット参戦で「美味しいところを持っていく」猪木に対して、最初は冷たい目線で見てました。

 

しかし、この頃「紙のプロレス」等、プロレスを深堀りするメディアと出会い、猪木が何を表現しようとしているのか。「闘魂」とはなにか。「ストロングスタイル」とはなにか。「世間とプロレスする」とはなにか。深堀りし、問いかけていくようなものと出会ったことでプロレスについて考える、という習慣がついたように思います。

年齢を重ね、以前のようなファイトが徐々に出来なくなっても、研ぎ澄まされた技で相手のスキをつき、延髄斬りから一瞬のスリーパーで絞め落とす。そこに漂う殺気、色気。プロレスのいろんな解釈を猪木から教わったように思います。全盛期の猪木に直接触れていないからこそ、引退直前の猪木を見ることができた、そして考えることができた。それが自分のプロレスファンとしての財産だと思っています。

 

 

PRIDE、K-1と戦い続けた「影の仕掛け人・アントニオ猪木」

そして個人的には現役時代よりも、引退してからの「仕掛人・アントニオ猪木」のほうが印象に残っていたりします。何と言っても有名なのは、あの橋本真也VS小川直也戦。柔道から新日本プロレスに転向した小川直也を佐山サトルとともに鍛え上げ、1990年、新日本プロレス1・4東京ドームで橋本真也とシングルマッチで対戦。プロレス的なやりとりがほぼないままに一方的に小川が橋本を戦闘不能に追い込んだ上、小川がリング上を駆け回り「新日本プロレスの皆さん!目を覚まして下さい!」とマイクアピール。その後大乱闘となった「伝説の一戦」でした。

その時、K-1、PRIDE等の打撃格闘技、総合格闘技が世に大流行し、このままだとプロレスが傍流に追いやられてしまう、という危機感から新日本プロレスに格闘技路線を敷こうとした猪木。1つのリングで複数人が同時にMMAで闘う「アルティメット・ロワイヤル」という迷作を生んだりして、プロレス・格闘技が混ざりあった混沌が生まれていきます。

そして2000年から2003年、「INOKI-BOM-BA-YE」として大晦日に格闘技イベントを開催。我らが永田さんがヒョードルと直前オファーで闘わされたりと色々とムチャを重ねていきますが、総合格闘技の土俵でレスラーが負けたり、格闘家がプロレスのリングに上がってズンドコになったりという混沌を生んでいきます。

そんなこともあり、新日本プロレスは徐々にアントニオ猪木と距離をおいていき、結果2005年、猪木が新日本プロレスの全株式を(株)ユークスに売却することで現在のブシロード体制への礎、企業がオーナーとなるプロレス団体へと移行していくことになります。

そして永田、中西、小島、天山らの第3世代、棚橋、中邑、柴田の新・闘魂三銃士らの地道な活躍を経て今の新日本プロレスの隆盛まで回復していくわけですが、藤田和之の格闘技での活躍、安田忠夫のジェロム・レ・バンナからの感動の勝利、リョート・マチダの発掘など、猪木の格闘技路線だからこそ残した功績も多かった。

その後も猪木はその理想をプロレス団体「IGF」で実現しようとし、格闘家とプロレスラーの試合、世界をまたにかけたプロレスイベント開催などを行い、団体として成功した、とは言いにくいものの、鈴木秀樹、青木真也が今でも「IGF」を心の中に持っていることからわかるように、今のプロレス界に大きな足跡を残したました。

このように、成功した!とは言い切れない部分も多くありますが、後々に評価される様々な仕掛けをしていた猪木。レスラーを引退してからも、引退してからより「アントニオ猪木」を表現し続けた、と言えるんじゃないでしょうか。

 

様々な「追悼の言葉」改めて知る猪木の大きさ。

と、個人的に色々猪木について書いてきて、他にも思い起こすと色々ありますが、最後に印象に残った色んなレスラー、ファンの追悼ツイートをまとめておこうと思います。

まずは長州力。猪木に育てられ、反発し、和解し、闘い、かなりの時間を共にしてきた長州。「やっと解放された」という言葉に。今までの長い時間での感情が伺えます。重い。あまりに重いツイート。

そして前田日明。猪木に憧れ、猪木と闘うことでのし上がっていった前田。思想的に遠く離れても、常に一定の尊敬の念を持っていたように思います。

そして個人的には最も猪木に振り回されたレスラーはこの人だと思いますが、一番「アントニオ猪木ファン」でもあるんだろうな、ということが伝わるツイート。ぐっときました。

「キン肉マン」のゆでたまご嶋田先生。昔一緒に練習したとは!中井先生もいい身体!

猪木信者代表、猪木といえば古舘伊知郎。いい話...。動画も公開されてます。

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プロレスリング我闘雲舞・さくらえみ代表。大きさが伝わってくるエピソード。

高橋奈七永選手の追悼ツイート。「スリランカのボクシングの大会で会った」というシチュエーションがレア過ぎて頭に入って来ませんでした。

そして最後はスターダムのスターライト・キッド選手の追悼ツイート。「SLKは引き継いでいく」とは...?と、追悼ツイートはとりあえずここまで。他にも色んな人が追悼されています。改めて偉大さを感じました。

 

 

最後に紹介したいのはグラップラー刃牙外伝。ジャイアント馬場逝去をうけて特別編として出されたこの本。ようやく天国で馬場と猪木が戦うことができる。天国のドームに観客が押し寄せて満員になるはず。改めてアントニオ猪木、猪木寛至さんのご冥福をお祈りいたします。プロレスを、闘魂を生んでいただき、ありがとうございました。