2011年11月21日、落語家、立川談志が亡くなりました。既にそれからもうすぐ5年。この時期には毎年、立川流一門が集まって談志を偲ぶ会を行っています。そしてこの本はそのほぼ1年後に出た談志追悼本です。
色々と談志追悼本は出ましたが、その中でも、この「談志が死んだ」は、命日からだいぶ時間が経ってから発売された本。その分じっくりと「晩年の立川談志」について描かれたものとなっています。
著者の立川談四楼は、立川流真打の落語家でありながら、いわゆる「本書く派」と自称、他称される通り多数の著書を持つ文筆家でもあります。twitterもやっていて、含蓄溢れるつぶやきをされています。
談志の墓は、文京区浄心寺にある。立川談志と肉筆様に彫ってあり、之墓の文字はない。立川雲黒斎家元勝手居士の戒名は墓石の横に刻んであり、人は、あった、などと言い、九分九厘が写真を撮る。故人が好きだった桜と雨の季節がいい。命日や月命日と言わず、いつ行っても花が絶えず、弟子は有難く思う。
— 立川談四楼 (@Dgoutokuji) 2013年9月5日
談志が新大阪から新幹線に乗り込むと、もっと西から来た先代円楽師が手を上げた。ガラ空きの車内、政治がダメだねと円楽師が口火を切った。談志も元参議院議員、黙ってはいない。やがて話はヒートアップ、映画論、落語論と発展してゆく。あっという間に東京駅着、円楽師が言った。新幹線は速すぎるね。
— 立川談四楼 (@Dgoutokuji) 2013年10月8日
また、談四楼師は、立川志の輔、志らく、談春、談笑のいわゆる「立川流四天王」とは違い、談志が立川流を作る前からの弟子。だからか、談志への崇拝や過度な神格化などはだいぶ薄く、冷静な視線で談志を見つめています。その部分は熱狂的な談志ファンからすると違和感があるのかもしれませんが、私としてはそれも読みやすく感じました。
立川談志の魅力である二面性。弟子の落語をじっくりと聞き、そのオチを真剣に考える真摯さ。弟子から頻繁に罰金と称して金を取り、相手を言い負かすまで理屈を重ねる等のケチで負けず嫌いな部分。その両面をあくまで冷静に捉え、距離感を保ちつつ描き出す談四楼師の筆で談志の魅力が引き出されているように思います。
同じような視点(要はケチで理不尽な天才としての談志)で書かれている追悼本では以下の2つも面白く読みました。
特に、多額の借金が原因で立川流を追われた快楽亭ブラックからの談志への愛憎混じった視線にはぐっとくるものがありました。まさに「愛憎」ではあるんですが、「しょうがないなあ」という部分と「でも凄い」という部分。「落語は人間の業の肯定」と話した談志自身が矛盾の塊であり、それゆえに愛されたということを感じることが出来ます。
ところで、「談志が死んだ」に戻ると、この本のテーマは主に3つ
- 談志が死んだ直後のTV出演~お別れの会の顛末記。
- 立川流を脱退し、病に倒れて死んだ立川小談志の思い出。
- 晩年の談志とのあれこれ。
これらが交互に描かれていき、後半になると衝撃的な事実が描かれていきます。それは
「談志がボケた?」
ということ。
もともと専制君主的な振る舞いの多い談志ではありましたが、さらに理不尽に怒り、周りを困惑させることが増えていきます。しかし、「病気」を弟子が指摘することは出来ない。これは中々難しい状況です。
師匠と弟子という関係で、師匠の老い・痴呆とどう付き合っていくのか。
普通の家族や人間関係と違い、落語界では弟子は師匠に絶対服従。直接反抗、指摘が出来ないので、その師匠がボケられたらたまったもんじゃありません。ささいなことで怒り、勘違いで怒鳴る師匠にたいしてもあくまで弟子としての態度を崩せない談四楼師の苛立ちや焦燥は読んでいてハラハラするし、もどかしい気持ちになります。友人に相談したり、弟子同士で情報交換したりと色々対策は講じるんですが中々うまくいかない。
けれどこういうところは落語家という職業の特殊性を感じて少し羨ましい部分でもあります。娑婆じゃないというか、普通に生きていたらこんなに一人の人で頭がいっぱいになる、という事はそうそう無いでしょう。しかもそれが立川談志。
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ちなみに、談志の病状が進んでいくさまは、談志の娘さんの本に詳しく、赤裸々に記されています。
結構壮絶なものがありますので、落語家…立川談志のファンは読むのに少し覚悟がいるのかもしれません。
「談志が死んだ」は、晩年の談志の記録でもあり、立川流落語家たちの記録でもあり、立川談四楼の落語家としての半生記にもなっている一種の記録です。
談志がボケた?というくだりは中々シリアスなトーンで描かれていますが、時々はさみこまれる逸話。立川流の落語家達が集まって談志の葬儀、別れの会、そして墓を立てていくところではさすがに芸人が集まっていることもあり、軽妙なトークが挟み込まれます。桂文字助、立川左談次、快楽亭ブラックらの軽妙な会話やエピソードが面白く描かれ、落語家たちの空気に和み、ほのぼのとさせられる。落語家という人々の世界を垣間見れるところもあり、楽しく読めました。
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私は、この本を通じて落語家という生き物のおかしさとかなしみを少しだけ味わった気がします。師匠と弟子、兄弟子と弟弟子。この世からなくなりつつある濃密な人間関係は、羨ましくもうっとおしくもありますが、どこか魅力的に映ります。
私は結局談志の落語を生で聞くことは無かったけれど、立川流の落語家達の落語は生で聞くことができます。上野、日暮里の一門会、それぞれの独演会、ホールや呑み屋やライブハウスでも個々の落語家が独演会、2人、3人会をやっています。
出来れば一回一門会とかに行って、それからこの本を読んでください。そうすれば多分、落語家が好きになる。「談志は死んだ」はそういう本だと思います。