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秋山準「巨星を継ぐもの」読了。全日本プロレス社長、どん底からの復活へ。

巨星を継ぐもの

巨星を継ぐもの

 

 現・全日本プロレス社長、秋山準の自伝「巨星を継ぐもの」を読みました。著書、というよりインタビュー形式での語りおろし、といったところでしょうか。

そもそも秋山準いうレスラーの経歴について軽く振り返っておきましょう。

1969年10月9日生まれ。大阪府和泉市出身。188センチ、110キロ。1992年に専修大学アマレス部から全日本プロレス入り。全日本プロレス四天王(三沢光晴・川田利明・小橋建太・田上明)の次世代エースとして嘱望され、全日本プロレスで入団記者会見が行われた二人目の選手。(一人目はジャンボ鶴田)小橋建太を相手にデビューし、アジアタッグ、世界タッグを獲得。

プロレスリング・ノア設立時に三沢らとともに移籍。旗揚げ戦のメイン3本勝負で2連勝してから一気にエース的存在となり、その後GHCヘビー、GHCタッグ、三冠ヘビーを巻くなどの活躍。その後再び全日本に復帰し、現在、全日本プロレス社長兼レスラーとして奮闘中。

 

wikipedia、この本の著者紹介などからまとめた年表がこちら。タイトル獲得を中心にまとめてみました。

1969年10月9日生まれ。大阪府和泉市出身。188センチ、110キロ。

1992年2月3日 ジャイアント馬場のスカウトで全日本プロレス入団

1992年9月17日 後楽園ホールで小橋健太を相手にデビュー

1995年1月 大森隆男とのタッグでアジアタッグ王座獲得(第62代)

1995年5月 三沢光晴とのタッグで世界タッグ王座獲得(第29代)

1999年1月 小橋健太とのタッグで世界タッグ王座獲得(第36代)

1999年10月 小橋健太とのタッグで世界タッグ王座獲得(第40代)

2000年7月 プロレスリング・ノアへ移籍

2001年7月 日本武道館で三沢を破りGHCヘビー級王座獲得(第2代)

2002年9月 齋藤彰俊とのタッグでGHCタッグ王座獲得(第5代)

2007年4月 力皇猛とのタッグでGHCタッグ王座獲得(第14代)

2011年4月 プロレスリング・ノアの選手としてチャンピオン・カーニバル出場

2011年10月 全日本プロレス両国国技館大会で諏訪魔を破り、三冠ヘビー級王座初載冠(第44代)

2012年1月 齋藤彰俊とのタッグでGHCタッグ王座獲得(第23代)

2012年12月 ノアを退団しフリーに

2013年2月「バーニング」として全日本マット本格参戦

2013年3月 潮崎豪とのタッグで世界タッグ王座獲得(第65代)

2013年4月 チャンピオン・カーニバル初優勝。同年7月に全日本へ再入団。

2014年6月 大森隆男とのタッグで世界タッグ王座獲得(第67代)

2014年12月 大森隆男とのタッグで世界タッグ王座獲得(第68代)

2014年7月 オールジャパン・プロレスリング(株)代表取締役社長就任

2014年12月 大森隆男とのタッグで世界最強タッグ初優勝

2015年9月 第3回 王道トーナメント初優勝

2015年11月 青森県武道館で曙を破り、三冠ヘビー級王座獲得(第53代)

2017年3月 GAORA TV王座初戴冠(第15代)

2017年10月 大森隆男とのタッグで世界タッグ王座獲得(第78代)

2018年2月、新日本プロレスの永田裕志とのタッグでアジアタッグ王座獲得(第104代)

と、このようにタッグ王座の獲得が目立つ秋山準。思えばノアでも全日本でも「秋山絶対エース時代」というのはほとんどなく、バイプレイヤー的存在と言うか、若手を引き上げる、エースに立ち向かう立場が多かった印象があります。

タッグにしても固定したパートナーはおらず( 最近では大森隆男と組むことが多いですが)オールラウンド、誰とでも何でも出来るレスラー、という感じ。全てのレベルが高いけれどもカリスマ性、時代を引っ張る何かが足りなかったのかもしれませんし、本人が脇役的な存在を好む、というところもあるかもしれません。

   

そんな秋山準。この本はレスラーとしての秋山にもスポットを当てていますが、中心となるのは社長としての秋山準。目次はこのようになってます。

第一章 伝統と赤字を背負って

第二章 ノアの舟から全日本の船へ

第三章 プロレスラーを志すもの

第四章 トップレスラーの系譜

第五章 先進と後進のはざまで

ー全日本プロレス「新旧社長」退団ー

VS武藤敬司

第一章では秋山が全日本プロレスの社長になるまでの過程が語られます。白石体制の全日本プロレスから武藤が抜けてWrestle-1を設立。その後、苦戦の結果山形ケーブルテレビが経営を引き受け、そののちに秋山が社長に。

そこから秋山が社長業をやることになるわけですが、スポンサー探し、興行、宣伝、経理など色んな苦難が待ち受けているわけで。この章では社長としての苦労話がメインとなってます。秋山の社長就任直後にはこんなことも。

とりあえず会場費とかが払えない事態があってはならないということになった。興行代金が入ったら、その日のうちに会場費などは支払うんですが、それが出来ない可能性があるかもしれないので、当日は自分の貯金をあらかじめ下ろして現金を持っておいて、シリーズをやっていたんです。

また、それと同じくらいに重点を置かれているのが白石社長話。諏訪魔にクマと戦えと発言するなど、なかなかにヤバい人だった、というのがそばにいた秋山の口から語られます。ただ、秋山も白石氏のプロレス愛、未払い賃金も少しづつ返していって完済している、というところは認めているようで、最後に対談している武藤ほど嫌ってはいない印象でした。まあ、好きではなさそうですが。

 そしてノアから全日本移籍について語られているのが第二章。しかしここでも白石氏トンデモ話炸裂。よっぽど話題の宝庫だったのか。秋山が白石氏に「フェイスブックに余計なことを書くな」と警告などしてたというのもちょっといい話。ホントに手を焼いたんだろうな・・・という。気に入っているようでもありますが。

第三章は大学卒業~全日本プロレス入団からの全日本プロレス話がメイン。全日本での練習、小橋、川田など先輩レスラーについてなど。ここらへんはわりと有名なエピソードが多めですが、全日本の受け身の練習について

試合会場でお客さんを入れる前にリング上で練習する時間があるのですが、順番に全員がコーナー最上段からセントーンの要領で、背中から落ちていって受け身とるんですよ。試合前からですよ(笑)。

と語っているのには割と驚き。ということは、この時期の全日本の選手は全員雪崩式セントーンは出来た、ということに。全日本の選手の受けの巧さはこういうところから来ているんでしょう。

第四章は小橋、三沢の話がメイン。そして第五章はプロレスについての技術の話がメイン。個人的にはここが一番興味深かったです。

特に馬場に直接いろいろ教わったという秋山が語る馬場の言葉はどれも深い。

リング上の動作には、一つひとつに理由がある。自分・相手・お客さんを意識して試合をすることが大事。「自分が、相手が、どう見られているか。お客さんがどう思うかを、ちゃんと考えてやれ」と教えられました。

 そしてそのために

だから、「試合で腹立つことは絶対ある。カチンとくることがあっても、一割か二割の冷静さは自分の中に置いておけ」って馬場さんは言っていた。でも、僕が冷静さを置いておけるようになったのは、ごく最近ですけどね。

と。当然のように聞こえることでも実際に行うのは難しい、という好例でしょうか。このような「馬場語録」や、秋山が若手に教えるという例えばロープの持ち方のような細かい部分などもぜひ「プロレスの教科書」として何らかの形で出版して欲しい、と思ってしまいます。カール・ゴッチ的なプロレス理論や技術についての本はいくつか出版されていますが、馬場的なプロレス理論、伝統的な技術についてはなかなか本としては出されていないのが現状。秋山のような教え上手、理論派の選手がまとめてくれれば、「プロレスの教科書」として貴重なものになるのではないでしょうか。 

巨星を継ぐもの

巨星を継ぐもの

 

 他の部分でも、「大きい選手と小さい選手への教え方は違う」、「若手が先輩にビンタをすれば沸く、しかし安易に沸く方向に行ってほしくない」など、教育者、秋山準としての発言も垣間見えるこの本。全日本プロレスで行われているプロレスリング、そして新日本プロレス、WWEで行われているプロレスリングを理解しようとしたときにもこの本で語られているプロレス論は役に立つのではないかと思います。プロレス会社の経営、若手の育成、という部分に大いにフォーカスの当たっているこの本。今までより細かくプロレスを見ていきたい、理解したい、という方に。もちろん全日本プロレスファンも楽しめるものになっていると思います。ぜひご一読を!

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