最近宮原のことばっかり書いてる気もしますが、今回はそのまとめ的な記事になります。最近の宮原健斗について、そして彼が何を見ているのかについて短めにまとめてみたいと思います。
その前にまず簡単に宮原健斗の略歴を記しておきます。1989年生まれ、2月末で30歳になりました。デビューは2008年2月なので、キャリアは11年。
デビューは2006年に健介オフィスから。ちなみにデビュー戦は真田聖也(現:SANADA)その後、中嶋勝彦に次ぐ健介オフィス(その後ダイヤモンド・リング)のナンバー2と目されていたところでVOODOO-MURDERS入り。その後、なんだかんだで2014年、全日本プロレスに入団します。
ちなみにこのへん私はプロレスあまり見てない時期だったのでほとんど知らないです・・・。このときから見ておきたかった・・・。
そして2016年の2月、諏訪魔のケガによるベルト返上に伴って行われた王座決定戦でゼウスを降して初の三冠ヘビー級王座戴冠。このとき26歳だった宮原は三冠ヘビー級最年少戴冠記録をうちたてました。(Wikipedia調べ)
そしてそこからなんと8回防衛、一年三ヶ月に及ぶ長期政権を築き上げますが、2017年チャンピオン・カーニバル優勝の石川修司に負けて王座陥落。その後2回三冠王座を奪回し、2018年10月の横浜文化体育館大会でゼウスを破り、第62代三冠王者となって今に至ります。その後、2019年の1月3日にKAIから初防衛。そしていよいよ諏訪魔との防衛戦を2月24日、横浜文化体育館で迎えることになるのです。
2019年2月の後半は、宮原健斗にとって大きなイベントが2つありました。まず1つ目は2月24日の三冠防衛戦、そして2つ目はその直前、2月19日に行われた「ジャイアント馬場没二十周年追善興行」でした。
様々な団体が協力して行われたこの興行で、宮原健斗はメインイベントを努め、新日本プロレスのエース、棚橋弘至とタッグマッチで対戦。棚橋のタッグパートナー、ヨシタツを自身の必殺技シャットダウン・スープレックスで仕留めた宮原健斗は、興行の締めのマイクで棚橋弘至と二人で決めポーズ。このシーンが週刊プロレス2000号記念号のの表紙となりました。
このときのタッグマッチは、宮原健斗&関本大介VS棚橋弘至&ヨシタツ。勝利チームの関本とではなく、また4人全員でのフィナーレでもなく、宮原は棚橋の隣に立ち、二人で興行を締めることを選んだのです。
そのことにより、新日本プロレスのエースである棚橋弘至と同等の立場で、二人きりで、しかもベルト姿(この直前に棚橋弘至がIWGPヘビーのベルトを失っていたのは皮肉ではありますが)で2000号というメモリアルな号での表紙を飾ることが出来ました。
このことにより、宮原健斗はジャイアント馬場追悼、という名目がない限りなかなか同じリングに上がることの出来ない棚橋弘至を最大限に活用し、自分のステータスをファンに示したといえるでしょう。
今や新日本プロレスの広告が多く載っているためにどうしても新日本寄りにならざるをえない週刊プロレスの表紙を、新日本プロレスファンの目につく形で飾る。そのことにより、全日本プロレスの三冠王者は新日本プロレスと対等なのだと示しつつ、全日本プロレスの知名度を上げることに成功したのです。
つまり、直接新日本プロレスと戦うのではなく、並び立つことによる”外交的勝利”を飾った。これは偶然ではなく、あくまでこの機会を最大限に活かそうとした宮原健斗の作戦であり、したたかな闘いだった、と私は思っています。
そしていよいよ迎えた2月24日、横浜文化体育館での諏訪魔との三冠ヘビー級選手権。メインイベントで行われたこの防衛戦、二種類の新しいジャーマン・スープレックスをひっさげて挑戦してきた諏訪魔。
一方宮原は必殺技を開発することなく、今までの闘い方で対抗。実に30分超えの熱戦となったタイトルマッチは、シャットダウン・スープレックス二連発で宮原健斗が防衛を果たしたのです。
20代最後のタイトルマッチ、ということをことさら意識した発言をしていた宮原健斗。いつもの通り「全日本プロレス、最高!」と締めてからのバックステージコメントでは、珍しく思いのたけを率直に吐露していきました。それはとても印象的に響く言葉だったので、ここに書き起こしておきます。
(バックステージのイスにどかっと座り)
V2だ、V2。
諏訪魔から始まった全日本プロレスの20代も、諏訪魔で始まり、宮原健斗の20代は、諏訪魔で終わった。これが!オレのプロレスラーとしての20代だ。諏訪魔で始まり、諏訪魔で終わった。
今日だけだよ。諏訪魔。あなたの存在があったから、オレは強くなれた。諏訪魔という存在があって、強くなれた。今のオレがある。それは変わらない。
ただ明日からまた、敵だ。
何かありますか?
(20代最後の三冠戦を終え、30代に向けていいスタートが切れたのでは、という問いかけに)
ねえ。30代はね。さらにね、全日本プロレスを盛り上げるからね。近道はないんだよ。
一試合一試合ベストを尽くして、見に来てくれる方々を増やす。シンプルだけど、それが近道なんだ。一気にジャンプすることはない。
ただオレはその一気にジャンプする時のために毎日毎日闘ってるんで。今日はなにか、20代の自分のね。なにかいい、20代としてはゴールを踏めたかな、と思っています。
(30代最初の三冠戦の相手として、野村直矢が名乗りをあげたことについて聞かれると)
リング上で待ってたといいましたけどね、あとは彼ら次第ですよ。
オレはね、このプロレス界の最前線を走る男だ。その背中に追いつくか追いつかないかは、あとは、彼ら次第だろう。
もうオレが待つことはない。今日だけだ。敵に回したオレは怖いぞ。会場すべての空気をオレが持っていくことになるからな。それを彼らは知ることになるだろう。
まあ全ては明日話しましょう。今は試合後だから頭が少しぼうっとしてるのでね。何かありますか。
(20代の宮原健斗に今何を言ってあげたいか、という問いに)
オレはね。この、生きてきて満足したことがないんで。今日、勝ったら褒められるのかなと思ったけど、オレは、今日も百点満点をあげることはないね。いつになったらオレは満足するんだろうね。オレは、満足したことがないんで。
ということは、オレがイメージしたものは叶うってことだ。 オレはイメージしてるものを着々と手にしてる。このベルトもそうだ。次は何だ?次は何だ。オレの中ではイメージ出来てるんだ。それを、ファンの皆様がオレについてきてくれれば自ずとわかりますよ。
ただね、まだまだオレのことを知らない人たちは、もっと早く気付いたほうがいいよ。
このコメントを見て気付くのもいいだろう。映像を見て気付くのもいいだろう。SNSを見て気付くのもいいだろう。もっと早く気付いたほうがいいぜ、まだまだ気付いてない人達いるだろう。オレは貪欲だ。
と、ポーズ撮影してから去っていった宮原健斗。このとき私は馬場興行での宮原も、諏訪魔と闘った宮原も同じ。全日本プロレスを背負って闘っている宮原健斗を改めて感じました。
全日本プロレスの中でも闘い、外に向けても闘っていく。改めて三冠王者としての矜持を見せた宮原健斗。今目を離せないレスラーだと思います。
3月は野村直矢との三冠戦、4月からはチャンピオン・カーニバルと大きな戦いが続く宮原。そして同時に外に何を発信していくのか。これからも注目していきたいと思います。「全日本プロレス、サイコー!」
横浜文体のコメント動画。宮原も、グレート小鹿もサイコーです!
ジャイアント馬場興行での宮原の闘いについて書いたエントリはこちら。
ヨシタツがいい仕事していました。
丸藤との三冠戦後に「三沢光晴」の名を出した、宮原の歴史的試合。
聞いてて「覚悟」を感じました。
2年前のインタビューでもブレない宮原
ちなみにこのインタビューをした尾崎ムギ子さんはもうすぐ著書出版!
コラムで宮原について書いてた白川未奈はプロレスラー!