男マンの日記

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三沢光晴逝去より11年。四天王プロレスの「狂った季節」とプロレスへの出会い。

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2009年6月14日、三沢光晴が逝去してから11年。三沢は46歳で亡くなったので、私もあと一年生きていれば三沢に「追いつく」ことになります。

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2000年7月に三沢が全日本プロレスを離脱する形でプロレスリング・ノアを設立。衝撃的だった旗揚げ戦(3本勝負の2本を秋山が奪取し、タッグパートナーだった小橋を裏切りのバックドロップ)もあり、武道館、ドーム大会と勢いのあったノアですが、2009年の時点ではかなり落ち着いたというか、あまり話題のない状態になっていました。自分もあまり熱心に追いかけている状態ではなく、目はPRIDE消滅後のDREAMに行ったりしていました。追いかけてたマッスルが活動休止状態だったこともあり、プロレスから少し離れつつあった時期でした。

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そんなときにネットから流れてきた「三沢光晴、リング上で起き上がれなくなる」というニュース。そのときはメジャー団体のトップ選手がリング上の事故で亡くなる、ということにリアリティを全く感じられなかったこともあり、ケガはするかもしれないけど明日にはなんとか回復してるんだろうな、と深く考えず、というか深く考えることを避けて床につきました。 

2009年6月13日からの三沢光晴

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しかし、一日明けて「三沢光晴死去」の報道。しかも「頸髄離断」という恐ろしい死因。当時の日刊スポーツではこのように記されています。

タッグマッチで対戦した斎藤彰俊のバックドロップを浴びて、頭部を強打した際に首に大きな衝撃を受けたようだ。リングに倒れた直後にはわずかに意識があったが、すぐに心肺停止状態に陥った。

このこともあり、元々財政的に苦しかったノアはさらなる窮地に陥り、この5年後に仲田龍リングアナも死去。 今年の1月にサイバーエージェント傘下に入るまで、身売りを繰り返すことになります。団体に強すぎる「負」のイメージを植え付けてしまった三沢光晴の死、このことこそがプロレスリング・ノア転落の始まりだったと言っても過言ではないでしょう。 

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思えば、私が本格的にプロレスを見始めたのは、日本テレビの深夜に放送されていた全日本プロレス中継がきっかけでした。まだ「四天王プロレス」と言われる前。ジャンボ鶴田、田上明、渕正信、小川良成による正規軍と三沢・川田・小橋・菊池による超世代軍の構想が盛り上がっていた時でした。ジャンボの圧倒的な強さ、それに立ち向かう三沢たち。他にもスタン・ハンセン、テリー・ゴーディ、スティーブ・ウイリアムスらの強烈な外国人勢。ジャイアント馬場とラッシャー木村のマイク、悪役商会、永源遥のツバ飛ばし、この時期の全日本プロレスにワクワクしたことが、今でも私がプロレスに熱くなっている原点となりました。

このときはまだそこまで過激な技が連発されていた印象はありませんでしたが、ジャンボ鶴田が内臓疾患のため引退、川田利明が正規軍入りしてメイン戦線が若返ったくらいの時期から徐々に垂直落下式の技が増え、シングルマッチで極限まで戦い抜く「四天王プロレス」の萌芽があったように思います。そして徐々に技が過激になり、ギリギリまで互いの身体を削り合う「四天王プロレス時代」に突入していくのです。

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この時、新日本プロレスも見ていましたが、全日本に比べるとメインが唐突に終わることが多く(長州がメインを貼って、6人タッグで外国人組と対戦、ということが多かった時代でした)新日本は派手だけど、試合を見ると全日本のほうが熱くなる、という印象を抱いてました。しかし徐々に垂直落下系の技が増え、シングルマッチでは二人共ダウンしている時間が増え、だんだんこちらの気持ちも引いていったところがあったように思います。

そして全日本プロレス中継が30分になり、余計にダイジェスト感が増したこともあって格闘技系の団体、インディにも目がいくようになったことで段々全日本プロレスから目が離れていきました。

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そしてその「四天王プロレス」は1999年にジャイアント馬場逝去、三沢がマッチメイカーとなり、小川良成をメイン戦線に抜擢、そしてノア旗揚げで川田利明が全日本に残るなどして終了。しかし、この後遺症はそれぞれの選手に残り、小橋、田上と引退していく中、11年前の三沢の悲劇に繋がっていくことになるのです。

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しかし、選手たちには大きなダメージを残し、三沢の死でプロレス界で大きな教訓を残した「四天王プロレス」、これがあったからこそ私もプロレスに熱中していきましたし、ガンバレ☆プロレスの石井慧介のようにこの時代きっかけにプロレスラーになった選手も多い。明らかに大きな功績を残した時代でもありました。

三沢光晴。この大きな名前を背負ってプロレスリング・ノアがこの日に毎年追悼大会を行っています。そして、2019年の大会、ジュニアタッグリーグに優勝した小川良成がマイクを取って語りました。

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小川「三沢さんを知っているファン、知らなかったファン

みんなにお願いがあります。

三沢光晴というレスラーを

忘れないでください。」

私も三沢逝去直後、友人とディファ有明に献花しに行きました。ディファ有明からは長蛇の列が並び、その手前の「市場前」駅で降りて並んだことを思い出します。 

それから、どこか負の記憶、悲劇の象徴として三沢光晴を記憶していたように思いますが、そろそろしっかりと三沢光晴の功績、死に至るまでの道程を振り返り、自分がプロレスを見るようになった原点について見つめないとな、と考えるようになりました。

そして今年は6月14日にプロレスリング・ノアのTVマッチが行われます。そのメインカードがGHC選手権試合、潮崎豪vs齋藤彰俊。三沢の最後の相手となってしまい、一時は引退も考えたという齋藤彰俊と、一度全日本プロレスを経て再びノアで頂点に立った潮崎豪の一騎打ち。もちろん三沢光晴という存在があってのこのメインイベント。改めて三沢という存在を確認するためにも、この試合を見届けようと思ってます。 

週刊プロレス別冊 三沢光晴追悼号 2009年 8/1号 [雑誌]